こんにちは (∩´∀`)∩
オッサンチャレンジ 第4弾 ♪
「EARTHSHAKER」の「More」です。
今回は、歌ってみました~♬
本当は、🎸も重ねたかったですが、、、
練習が追い付いてません💦💦💦
🎸入りはまた今度(‘◇’)ゞ
この「More」、
「リリースは 1984年」
かれこれ 37年前の曲です。
ウィキ情報によると,,,
- 1978年 石原 慎一郎さん、二井原 実さん、渡辺 芳信さんの3人で結成
- 1979年 渡辺さんが脱退、後任に工藤義弘さんが加入
- 1980年 「もうハードロックは歌いたくない」と、二井原さんが脱退、後任として、西田昌史さん、加えて甲斐貴之さんが加入
- 1983年 伊藤政則さんをプロデューサーとして1stアルバム発売
- 1986年 元ノヴェラの永川敏郎さんが加入
- 1993年 解散発表
- 1994年 正式解散
- 1999年 25周年イベントを機に、永川さんを除く4名で再結成
- 2017年 永川さんが再加入
そうか~、こういう流れだったんだ~。
1st アルバムのプロデューサーって、政則さんだったのですね? 知らなかった。
あと、「もうハードロックは歌いたくない」宣言の二井原さん、そのあとLOUDNESSに行ってますが,,, どういうこと?? 少し、そちらも追っかけてみますw
単に私の興味本位です🙇
二井原さん の足跡(概要)
高校の軽音部で知り合った同級生の石原さんらと共に「EARTHSHAKER」を結成。当初ベーシストとして参加したが、ボーカルが1年ほどで脱退、ボーカルを兼任することに。
当時は、ベースを弾くことに重きを置いていたそうですが、キーの高さ、レンジの広さ等を指摘する周囲の反応から、少しずつ自身の才能に気付くことになった模様。
ヤマハ主催のコンテストに出場した際は、とある審査委員から「珍しい声」「おもろい声」と評価され、本格的にボーカリストを目指すように。
同コンテストでは優勝。知名度を上げたアースシェイカーは、当時の関西で人気絶頂アマチュアバンド「山水館」や「シェラザード」(共に「NOVELA」の前身)などの前座に起用されるようになったそうです。
しかし、大学進学を境に、自身の趣向はハードロックよりもR&Bやソウル・ミュージックへ。並行在籍していたR&Bバンド「Soul-Doo-Out」の活動に精力を傾け、ソウル・シンガーとなった。
一方で、「ハードロックはやらない」発言の裏には、プロ志向が強かった石原さんに対して、当時はまだ自身の力量に自信をもてず、プロを目指すことに二の足を踏んでいた胸中を旨く伝えられず、すれ違いが生じたまま「二人はしばらく絶縁状態」というエピソードもあるのですね。
なるほど~ でも、どうしてまたハードロックに戻られたんでしょう?
アースシェイカー時代の二井原さんの歌声を聴いた高崎晃さんからオーディションへの参加依頼を打診された。と、あるんですが,,,
この時、高崎さんにアースシェイカーのライブテープを送り、熱心に二井原さんを推していたのが、山下昌良さん。って、とこまではわかりましたが,,,
さて、実のところ、どうやって口説いたんでしょう?
ではまた(^^♪